僕が君に捧げる遺言

文章を書きます。湯涌付きの恋愛玄人。ピュアに生きたい筈だったのに

所感

年始の所感

 

 

「誰にも聞かれていない話を延々と続ける。」

 

 

これほど切ないこともないだろう。

 

 

だから、僕はこれから綴る言葉が、いつか誰かの目に触れて貰えればという思いで綴る。「うわぁこいつこんな臭いこと言っているよ」「へぇー昔こんな事を考えていたんだ。」「今の彼の源流のようなものはこんな感じの所から湧き出ていたのか」

 

いつになるか、誰がそう思うか、分からないけれど、そう思う人が一人でも多くいてくれたらと僕は強く思う。きっと文字書きと言うのはそういう性質の生き物なんだと思う。

 

 

 

 

 

前置きが長くなったが、

 

2018年を変化の年にしたい。

 

「何者でもない何者かになりたい人間」と言うのは年始の所感にこう言った戯言を言いがちだ。

 

そう言ったたわいもないジレンマに苦悩をしてきた。だけれどもそれでいいと思う。

 

 

現に僕は何者でもないのだから。

 

僕の源流はここにある。

 

暑く煮えたぎる、一滴たりとも無駄にできない。2018年、94年生まれの僕の23年間全ての雫を全身に通わせて文字を綴りたい。小さくて、中指が不恰好に折れ曲がったこの指で、何も詰まってないのであろう小さな頭で僕は一生懸命文字を綴る。

 

 

 

そう、僕は表現者でありたい。

 

 

今まで見ていたばかりの23年間だった。一丁前なフリをした。スカしている事こそが僕だった。お洒落をした。そしてダサい奴らを馬鹿にした。頭の中で嘲笑った。そしてそんな自分に心の底から涙した。

 

 

 

 

今年は違う年に。

 

 

嘲笑われること。

 

貶されること。

 

結構。

 

 

するべきことはしよう。

 

 

僕には何もない。全部がダメだ。

 

 

中途半端

 

 

ではなく、駄目だ。

 

 

 

 

 

 

 

「寝る間を惜しんで」

 

 

 

 

夢中になったものなどない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ一つ、

 

 

 

 

 

 

 

 

色んな物思いに耽ること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは形を為さない、色をつけることもできない。

 

 

 

 

 

 

 

だったらそれを言葉にしよう。

文字や言葉だけが、僕の大切なものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

形にすることで苦しむし、絶望するかもしれない。挫折をするかもしれない。ただ、僕は今それすら経験したことない未熟な子供だ。23歳の未熟な子供だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝る間を惜しんで書く。

 

 

 

 

 

 

 

書いたものの色が、重くのしかかりそうなグレーかもしれない。

 

 

書いたものの形は、誰かの心臓をえぐる鋭利な刃になるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも僕は書きたい。

今綴ったこの言葉すら、惨めで拙く情けないと思う。消したいと思う。才能があると思い込んでいる自分が否定されていく。

 

 

 

 

 

惨めな源流だ。

 

 

 

 

 

それでも僕は表現者でありたい。

 

今年がそんなきっかけであるように、今日の自分が見て驚くような自分であれよと強く願う。し、なる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん、よろしくお願いします。

 

自分、よろしくお願いします。